構造動作トレーニングを継続し、物事をシンプルにみることができるようになってきた矢先、私にとって人生観を大きく変えるほどのできごとがあった。
他者に起きたことで私の心が激しく反応し憎しみ飛びだし、胸が苦しくなった。これまでにしばしば他人のマイナスの気を受けて、胸が苦しくなってしまうことはあったが、憎しみが飛び出したのははじめての経験だ。
胸の深い、深い、奥。そこには、なにか得体のしれないモノがあった。この得体のしれないモノは楽しいモノではなく、苦しく、辛い反応を示す。この得体のしれないモノが反応しているときには私の言動や行動は他人に理解されない。どうやら自分にしかわからないことのようで、周りはドン引き・・・
私は、自分の心を気にしたことがない、というよりも関心がなかった。が、もしかしたら、無意識的に見ようとしなかった、あるいは関心がないふりをしていたのかもしれない。
今回の出来事はわたしの胸の奥に潜む得体のしれないモノに激しく苦しめられたが、また同時に寄り添う気持ちを生じさせた。私はこの胸の奥に潜む得体のしれないモノの正体について知るために家族関係や育った環境を遡って整理することに努めた。
私は「無気力でボーっとした子」といわれる子供だった。子供時代の記憶はあまりない。無意識に記憶として留めることを拒絶していたのではないだろうか。おそらく、子供が無気力になるという環境は子供にとって望ましくない。無力な子供であった私は感覚を鈍くすることによって、辛い環境を感じないように防衛反応が働き心を守っていたのではないだろうか。
私はそれぞれの関係性を明確にすることによって、得体のしれないモノの正体がみえてきた。そして、私の心にある憎しみの根源を断つ方法がわかってきたのだ。辛い環境を感じさせないように感覚を鈍くする、紛らわせる、麻痺させ自分をだます。環境を変えることができない、しない場合には有効な方法なのかもしれない。しかし辛い環境は変わることはない。これは体におこる不調でも同じなのではないだろうか。
構造動作トレーニングでは、まず鈍くなった感覚を呼び覚ますことから始める。何故なら、感覚が鈍ったままでは動き出すことができないからだ。私はようやく、感情を優先した言動や行動をするのは控えた方がよいと理解することができ落ち着いた。そして、正体がみえてきたからには、その対策が必要。ということで、50歳を目前に私は第2の人生を歩む決意をしたのだった。